前にも伴毛《ともげ》が長い、胴は短くつまっ[#「つまっ」に傍点]て四足細く指が長く歩く時はしなしなする。頭が割方《わりかた》大きく見ゆる。そうして眼は今申す通り度はずれ大きく、どんよりして涙を含んでいるように見えます。それに大きさも葉茶屋の方のよりは一廻り大きく、全体の毛がボッサリしていかにも大々として立派に見ゆる。両《ふた》つを比べて見ると人間ならば階級の違う人が並んで立っているよう、その相違は不思議な位でありました。

 私は今日《こんにち》まで、葉茶屋の狆を本当に狆らしい狆だと信じていたのですが、今度の「種《たね》」が来て、その権識の高いのを見て、狆というものはこういうものか知らんと思った。それで二、三日は坐敷に放って置いていろいろその動作を眺めていましたが、ちょっと手を附ける訳に行かない。彫って見ようという気になれないのです。それに一方、葉茶屋の方は既に荒ぼりが済んでいる所でありますから、今、どっちへ取り掛かって好いか気迷いがしてどっちにも取り掛かることが出来ないのでありました。
 しかし、また二、三日すると、目に馴染《なじ》んで来て、今度来た方の狆が、どうも本当の狆というもの
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