らない見本でも間に合わせも出来ますが、何しろ、宮城の貴婦人の御間へ備え附けられますので、よほど本物が上等でありませんといけませんのでして」
「まあ、お話を聞けば勿体《もったい》ないようなことで御座いますね。すると、この狆を見本にしてお彫りになれば、この狆の姿が九重《ここのえ》のお奥へ参るわけで御座いますね」
「そうです。御場所柄のことで、高貴の方の御集まりになる所へ飾られますわけで」
「そうでございますか。では、まあ、お見立てに預かった仲は、随分名誉なことでございますわね」
「そうです。狆に取ってはこの上もないことと申しても好《い》いかと思います」
 婦人相手のことで、なかなか、その応対が念入りで、私も一生懸命ですから、掛引をするではないが願望を遂げたいために弁を振《ふる》う。細君も訳を聞けば勿体なくも右の次第と分っては、可愛がっている生物のことでお貸しするわけには参らんと断わるわけには行かなくなった。
 そればかりでなく、話を聞いては案外、皇居云々のことがあるので、細君も深く感じたものと見えまして、暫く考えていましたが、良人《おっと》や娘などに相談した結果、細君は快く貸してくれることになりました。
「畏《おそ》れ多いお場所のお飾り物にこの狆の形が彫られるのでしたら、形のある限りは後に残るわけでございますねえ。それではお役に立つものなら立てて下さいまし、私どもも大よろこびでございます。それで一週間というのも何んですから、まあ十日ということにしてお貸ししましょう」
ということになりました。私は思いのほか事が容易に運んだので安心しましたが、実に日本という国でこそあれ、皇居という一声で、私の名も所も聞かないで、ありがたがってお役に立つものなら立てて下さいと誠の心を動かして来た心持は、全く、他国の人の真似《まね》の出来ぬことであろう、と非常に私も嬉《うれ》しく感じたことでありました。

 そこで、私は自分の名札を出し、住所氏名を改めて名乗り、これから自分で狆を伴《つ》れて行こうかと思いましたが、貴君《あなた》の書き附けを持ってお出《い》でならお使いでもお渡ししますと、充分に私を信じてくれておりますので、私は家に帰り、弟子の萩原国吉を使いにやりました(この国吉は今の山本瑞雲氏の旧名。当時の青年も今は五十以上の老人となっている)。国吉は早速中風呂敷をもって三筋町の葉茶屋へ狆を借
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