首尾|能《よ》く掛かりの方へ納めたことでありました。出来上がったのが四月……桜の花の散る頃でありました(手伝わせた弟子には林美雲氏も山本|瑞雲《ずいうん》氏もおりました。美雲氏は既に故人となったが、後に美術学校の助教授をもしたことであって、至極穏健な作をする人であった。東雲師のお宅で年季を勤め上げ、一人前になろうという所で師匠が歿されましたので、その後は私の許《もと》に参って私の弟のようになったのであります。また山本瑞雲氏は現存で今日盛んに活動しております。この人は元萩原国吉といいましたが、後に実家の山本姓に復し号を瑞雲と改めました)。

 鏡縁が納まると、今度は御欄間《おんらんま》の彫刻を仰せつかりました。
 これは七宝に山鵲《さんじゃく》の飛んでいる図であった(山鵲という鳥はちょっと鵲《かささぎ》に似て、羽毛に文系があり、白冠で、赤い嘴《くちばし》、尾が白くて長い。渡り鳥の一種で、姿の上品な趣のある鳥です)。それが済むと次は同じく欄間で鉄線蓮唐草《てっせんれんからくさ》の図(鉄線蓮はよく人家にある蔓草《つるくさ》で、これも紋様などにして旧《ふる》くから使われているもので、大変趣のあ
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