幕末維新懐古談
皇居御造営の事、鏡縁、欄間を彫ったはなし
高村光雲
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)御徒町《おかちまち》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)参考|斟酌《しんしゃく》して
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)ざっ[#「ざっ」に傍点]と
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御徒町《おかちまち》に転宅《ひっこ》しまして病気も概《あら》かた癒《なお》りました。
その時が明治二十年の秋……まだ本当に元の身体《からだ》には復しませんが仕事には差し閊《つか》えのないほどになった。
すると、その年の十二月、皇居御造営事務局から御用これあるにつき出頭すべしとの御差紙《おさしがみ》が参りました。何んの御用であるか、いずれ何かの御尋ねであろう、出て行けば分ろうと思って出頭しますと、皇居御造営について宮城内の御間の御装飾があるによってその御用を仰せつけられるということであったので、誠に身に取り名誉のことで、有難き仕合わせと謹《つつし》んでお受けをして退出したことでありました。
この皇居御造営の事は日本美術協会の方にも関係がある。協会の役
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