員の一人である山高信離《やまたかのぶあきら》氏は御造営の事務局長でありました。氏は当時有数の博識家で、有職故実《ゆうそくこじつ》のことは申すまでもなく、一般美術のことに精通しておられ、自ら絵画をも描かれた位でありますから、建築内部の設計装飾等の万般について計画をしておられまして、各種にわたった技術家諸職工等を招きそれらの考えを聞き、自分の考えと参考|斟酌《しんしゃく》して概略のところをまず決定されておられたようなことであった。それで氏は私のことをも美術協会の関係上多少知っておられ、私の技術をもお認めになっておったものか、氏のお考えによって私にも御用を仰せ附けられた次第であったことと思われます。
 宮城内の事は雲深く、その頃の私は拝観したことも御座いませんから分りもしませんが、その御化粧の御間に据えられる所の鏡の鏡縁《かがみぶち》の彫刻を仰せ附けられたようなわけでありました。
 鏡縁は大きなもので、長さ七尺、巾四尺位、縁の太さが五寸。その周囲一面に葡萄《ぶどう》に栗鼠《りす》の模様を彫れということで御座いました。右の材料は花櫚《かりん》で、随分これは堅くて彫りにくい木であります。早速お引
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