で、双方が落ち合うようにしたらというのであったが、師匠は、どうも、自分宅といっても坐敷というほどの坐敷もなし、柏木家と三枝家との歴とした両方の関係者をお招きするだけのことは出来ませんから、何処か、極《ごく》倹約で、人目に立たない好い場所を考えましょうといって、思い附いたのが諏訪町河岸《すわちょうがし》の「坊主そば」の二階であった。
 このそば屋のことは、前に浅草|界隈《かいわい》の名代な店のはなしをした折はなしました通り、主人が聾《つんぼ》であるから「聾そば」ともいってなかなか名の売れた店で並みの二八そばやではない。この二階をその見合いの場所にするということになった。

 当日は無論、私の師匠は双方の仲介者であるから誰を差し措《お》いても出掛けなければなりません。で師匠は羽織など着て出掛けることになったが、そのお伴《とも》は相変らず私である。私はその時分はまだ小僧で、師匠に幸吉々々と可愛がられ重宝がられたもので、使い先のことはもとより、お伴も毎々のことで、辻屋でも、三枝さんでも、また柏木家でも師匠と多少とも関係交渉のあった家は何処でも知っており、また種々《いろいろ》な事件の真相なども大
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