でありました。これは師匠が辻屋に出入りをしていた関係で柏木家へも出入りする。柏木家の未亡人からも養子に相当な嫁があったら世話してくれと頼まれていたので、ちょうど両方からの依頼で、自然と一対のものが出来たような塩梅《あんばい》になったのですから、師匠もこれは出来ると思った柏木家へ申し込んだのであります。すると、案の条、柏木家でもまことに結構とある。そこで柏木家から改めて師匠を介して三枝家へお綾さんを貰いたいと申し込んだのです。三枝さんでは師匠に一切を任した位に師匠を信じて頼んでいるのであるから、こちらもまた甚だ結構ということで、どうか骨折って纏めてくれという挨拶《あいさつ》である。で、師匠が双方を幾度か往復していよいよ見合いをしようという運びになりました。

 さて、見合いということになりましたが、当時世の中もまだ充分に静謐《せいひつ》になったというではなく明治新政の手の附け初めで、何となく騒々しい時で、前から多少とも物持ちの家でも財産を減らさぬようにと心掛け、万事控え目にした時でありますから、この見合いのことなども双方ともに極《ごく》質素に致すがよろしかろうということで、師匠の宅の坐敷
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