も、また、俵の左右の宝球のところにもまるで球《たま》のように旨《うま》く出たのであったので、それが縁喜が好いといって三枝氏が大層よろこんだのでした。
この木の玉の出るのは、必ずしも偶然ではなく、木取りの仕様で、出そうと思えば出るものです。師匠は特にそういう風に作られたのですが、素人《しろうと》にはそういうことは分らないから、奇瑞《きずい》のようにも思われてよろこんだのでありました。すると、この大黒が出来上がって間もなく、妹御《いもうとご》のお綾さんが、時の大官大隈|重信《しげのぶ》という人の処へ貰われて大変に出世をされた。これは東雲師の彫った大黒の御利益《ごりやく》だといって三枝家の親類の人たちは目出たがって、自分たちもあやかり[#「あやかり」に傍点]たいものだと、二軒の御親類から、また、大黒を頼まれたが、この方は御利益があったか、私はそこまでは知りません。
竜之介氏と妹御のお綾さんとの母親になる方は、その頃は未亡人で、頭を丸めてお比丘《びく》さんのように坊さんでしたが、そんなにお婆《ばあ》さんではありませんでした。俗にいう美人型の面長《おもなが》な顔で、品格といい縹緻《きりょう
前へ
次へ
全22ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光雲 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング