人綾子という人は、大層よく出来た人だとの評判であるが、なるほど、娘時代からあれだけの辛抱をして心を錬《ね》っておられただけあって、今日天下一、二といわれる政治家の夫人となってもやはりその妻としての役儀を立派に仕終《しおお》せるというは、心掛けがまた別なものであるかと感心したことでありました。

 私が綾子刀自について知っている因縁ばなしというのはこれだけのことで、そのほか何もありません。
 けれども、私は、刀自が初縁の際の見合いに仲介人の師匠のお伴までしてその席を実見したほど、その時代のことを能《よ》く知っており、正銘《しょうみょう》疑いなしの話である。よって、私は、この奇妙な話はまことに不思議ともいうべきであるから、何時《いつ》かは何かに書き残して置きたいとも思っていたのですが、ここにそれを差し控え、今日まで、かつて口外したこともなく、これだけの話をそのまま黙っておったのは、綾子刀自が大隈家へ方附《かたづ》かれたのが、初縁でないのであるから、もし、ひょっとそういうことを私の口から口外しては、と遠慮を致したわけでありました。もっとも、大隈家へ再縁されたと申しても、事情は前申す通りの訳で
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