なか商人のいうままにはならない。自分で一己の了見があって、製作本位に仕事をする。つまり先生株の人たちであり、後のは、何処までも職人的で手間取りが目的、商人のいうままにどうともなろうという側である。こうまず二派に別れるのでありますが、その高尚の方の先生株には、旭玉山氏、石川光明氏、島村俊明氏などを筆頭として、その他沢山ありますが、この人たちがまず代表的の人、いずれも商人の方で一目置いている。一方は商人に使われる組で、一口にいえば売り物専門で貿易目的である。この方もなかなか旺《さか》んにやっている人たちがあって、その大将株の親方が谷中《やなか》に住まっておった。なかなか勢力があったもので、商人との取引も盛んなところから弟子や職工を沢山使っている。牙彫界ではこれを谷中派と称しておったのです。

 ところで、当時、東京府(多分府であったと思う)の仕事の中に諸職業の組合組織というものを許可することになった。それはそれらの団体が一塊《ひとかたまり》となって共通的な行動を取るように仕組まれた組織で、一つの組合には組長、副組長というものがあって、その社会の種々《いろいろ》な規約的なことを総括する一つの
前へ 次へ
全14ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光雲 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング