だけは上げてあっても、実際の人数は半数にも満たないような結果になって、結局、技術側の勝ちといったようなことになったのでありました。

 彫工会の成立は、この事件が導火線となったのであります。今まで、種々、組合の対抗運動について奔走|斡旋《あっせん》した人々の中で、旭玉山氏は主要な人でありました。同氏は湯島天神町一丁目(天神境内)に邸宅を構え、堂々門戸を張っておりました。現在は京都に住居して八十三の高齢で現存の人でありますが、なかなか文学もあり、緻密《ちみつ》な脳《あたま》の人で、工人に似ず高尚な人で、面倒な事務を引き受けて整理してくれましたから、誰|推《お》すとなく、玉山氏を先生派の中心人物のようにしている処から、同氏宅を仮事務所に宛《あ》て、此所《ここ》へ技術派の重な人々が五人十人毎日集まっては善後策を講じたわけでありました。
「折角此所まで進んで来て、このままで済ましてしまうのは惜しいではないか。何んとかしようではないか」
という意見が誰いうとなく起って来た。
「それでは一つこの意気組みで会を起そうではないか。今、この場合に拵《こしら》えて置かんとまたこの後野心家が面倒なことをやり
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