でありました。
 それに、元来、稼ぐという道は若い時から苦労をしているから充分に知っている。手術《てわざ》が持ち前で好き上手《じょうず》であるので、道楽半分、数奇《すき》半分、慾得《よくとく》ずくでなく、何か自分のこしらえたものをその時々の時候に応じ、場所に適《は》めて、売れるものなら売って見ようというのが父兼松のその頃の楽しみの一つでありましたが、それも買い手が気持よく自分の趣向をおもしろいと思って喜んで買って行けばよし、そうでなければ売る気もない。元手と利益を勘定ずくにしてやる商売ではなく隠居の道楽に、洒落《しゃれ》で何か人の気を「なるほど、これは、どうも、おもしろい。好い趣向だ」と感心させて見たいという気分で、これがこの老人に随《つ》いて廻った癖でありました。

 それで、ドンなものを父は製《こしら》えるかというと、この前話した火消し人形のようなものから、いろいろ妙なものがありますが、その中で、夏向きになって来ると、種々《いろいろ》な虫の形を土で拵《こしら》えて足は針金で羽根は寒冷紗《かんれいしゃ》または適当な物で造り、色は虫その物によって彩色を施し、一見実物に見えるよう拵えるの
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