手を売ったという話や、葦《あし》の葉の虫のおもちゃを売った話など……今日、こうして此所《ここ》に坐っておってその当時のことを考えると不思議な気がします。

 私の父兼松は、もはや還暦に達した老人となったが、至極達者なもので、私が一家のことをやっているので、隠居で遊んでいてもよろしいのであるけれども、始終、何かしら自分で働くことを考え自分の小遣い位は自分で稼《かせ》いでいる、何といって取りとまったことはないが、前《ぜん》申す如く、大体器用な人で手術《てわざ》は人並みすぐれている所から、何かしら自分の工夫で小細工をやって見たい。安閑としてぶらり遊んでいることは嫌いで必ずしも自分の仕事が銭《かね》にならなくても、手と脳《あたま》とを使って自分の意匠を出して物を製《こしら》えて見ようというのである。それで孫が出来れば、孫のためにおもちゃをこしらえる。引っ越しをすれば、越した先の家の破損を繕う。籬《まがき》を結い直す。羽目《はめ》を新しくする、棚《たな》を造るとか、勝手元《かってもと》の働き都合の好いように模様を変えるとか、それはまめなもので、一家に取って重宝といってはこの上もない質《たち》の人
前へ 次へ
全8ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光雲 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング