しまいました。
 この製作品は竜王の像で、これは勝次郎氏作り、私はお供と前立ちの方を主《おも》にやったのです。そうして丸二年間大島氏の家に起臥《おきふし》して鋳金の仕事を修業したのである。
 したがって参考のため、その頃の私の給料のことを話すが、それが面白いのは、大島の老人が余計に給料を払おうというのを、私がそれを辞退して長い間押し問答をしたことを覚えている。仕事に来たその月|晦日《みそか》の夜の事、大島老人は、最初私に向って、
「さて、あなたも、いよいよ家《うち》へ来て下さることになったから給料を決めよう。一体、幾金《いくら》上げてよいか。お望みのところをいって下さい」という。私はこれまで師匠の宅へ通っている間、日給二十|匁《もんめ》ずつを貰っていたから、これまで通り、二十匁(この二十匁は三日で六十匁一両に当る)でよろしいのだが、まず一|分《ぶ》二朱も頂けば結構というと、
「今時《いまどき》の時節にそんな馬鹿なことがあるものか、一分や二分ではどうなることも出来やしない。私は一両二分差し上げる。また急なものだから時々夜業をお頼みすることがあるから、それは半人手間《はんにんでま》というこ
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