っそ、この木地《きじ》を出してしまう方が好いと思い、それから長い間水に浸《つ》けて置きました。すると、漆は皆|脱落《はが》れてしまい、膠《にかわ》ではいだ合せ目もばらばらになってしまいましたから、それを丁寧に元通りに合わせ直し、木地のままの御姿にしてしまいました。これはお手のものだから格別の手入れもなしに旨《うま》く元通りになりました。そうして、それを私の守り本尊として、祭りまして、現に今日でも私はそれを持ち続けている。
 私は観音のためには、生まれて以来|今日《きょう》までいろいろの意味においてそのお扶《たす》けを冠《こうむ》っているのであるがこの観音様はあぶないところを私《わたくし》がお扶けしたのだ。これも何かの仏縁であろうと思うことである。

 さて、師匠の所有の四体の観音は、その後どうなったかというに、一つは浅草の伊勢屋四郎左衛門の家(今の青地氏、昔の札差《ふださし》のあと)、一体はその頃有名だった酒問屋《さかどんや》で、新川の池喜《いけよし》へ行きました。それから、もう一体は吉原の彦太楼尾張へ行った。もう一体は何処《どこ》へ納まったか覚えておりません。
 かく師匠の手に帰した
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