観音も、日ならずして人手に渡り、ちりぢりばらばらになってしまいましたが、私の所有の松雲元慶禅師のお作は、今以て私が大事にして祭っておりますところを見ると、最初私がこの観音の灰燼《かいじん》に帰しようとする危うい所をお扶けしようとした一念が届いて、かくは私と離れがたない因縁を作っているように思い、甚だ奇異の感を深くするわけであります。
この禅師のお作は、徳川期のものではあるが、なかなか恥ずかしからぬ作であります。禅師は元来は仏師でありましたので、その道には優れた腕をもっておられ、五百羅漢製作においても多大の精進《しょうじん》を積まれ一丈六尺の釈迦牟尼仏《しゃかむにぶつ》の坐像、八尺の文殊《もんじゅ》、普賢《ふげん》の坐像、それから脇士《わきし》の阿難迦葉《あなんかしよう》の八尺の立像をも彫《きざ》まれました。なお、禅師についての話は他日別にすることと致します。
底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年1月17日第1刷発行
底本の親本:「光雲懐古談」万里閣書房
1929(昭和4)年1月刊
入力:網迫、土屋隆
校正:noriko saito
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