というのです。そこでこのお経は今浅草の浅草寺の所有になっております。

 それから、この浅草寺ですが、混淆時代は三社権現が地主であったから|馬道《うまみち》へ出る東門(随身門《ずいじんもん》)には矢大臣が祭ってあった。これは神の境域であることを証している。観音の地内《じない》とすれば、こんなものは必要《いら》ないはずであります。もう一つ可笑《おか》しいことには、観音様に神馬があります。これは正《まさ》しく三社権現に属したものである(神馬は白馬で、堂に向って左の角に厩《うまや》があった。氏子のものは何か願い事があると、信者はその神馬を曳《ひ》き出し、境内の諸堂をお詣《まい》りさせ、豆をご馳走《ちそう》しお初穂《はつほ》を上げてお祓《はら》いをしたものである)。こういう風に神様の地内だか、観音様の地内だか区別がないのです。法令が出てから観音様の境内と三社様の境内とハッキリ区別が出来ましたために、諸門は観音に附属するものになって、矢大臣を取り去って二天を祭り、今日は二天門と称している。神馬も観音の地内には置くことが出来ない故、三社様の地内へ移しました。
 右のような例によって見ても、神仏の混
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