弊を矯《た》めるがために神仏混淆を明らかに区別することにお布令《ふれ》を出し、神の地内《じない》にある仏は一切取り除《の》けることになりました。
 そして、従来|神田《かんだ》明神とか、根津権現《ねづごんげん》とかいったものは、神田神社、根津神社というようになり、三社《さんじゃ》権現も浅草神社と改称して、神仏|何方《どっち》かに方附けなければならないことになったのである。これは日本全国にわたった大改革で、そのために従来別当と称して神様側に割り込んでいた僧侶の方は大手傷を受けました。奈良、京都など特に神社仏閣の多い土地ではこの問題の影響を受けることが一層|甚《ひど》かったのですが、神主側からいうと、非常に利益なことであって、従来僧侶に従属した状態になっていたものがこの際神職独立の運命が拓《ひら》けて来たのですから、全く有難い。が、反対に坊さんの方は大いに困る次第である。
 そこで、例を上げて見ると、鎌倉の鶴ヶ岡八幡に一切経《いっさいきょう》が古くから蔵されていたが、このお経も今度の法令によって八幡の境内には置くことが出来なくなって、他へ持ち出しました。一切経はお寺へ属すべきものであるから
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