淆していたものが悉《ことごと》く区別され、神様は神様、仏様は仏様と筋を立て大変厳格になりました。これは、つまり、神社を保護して仏様の方を自然破壊するようなやり方でありましたから、さなきだに、今まで枝葉を押し拡《ひろ》げていた仏様側のいろいろなものは悉くこの際|打《ぶ》ち毀《こわ》されて行きました。経巻などは大部なものであるから、川へ流すとか、原へ持って行って焼くとかいう風で、随分結構なものが滅茶々々《めちゃめちゃ》にされました。奈良や、京都などでは特にそれが甚《ひど》かった中に、あの興福寺の塔などが二束三文で売り物に出たけれども、誰も買い手《て》がなかったというような滑稽《こっけい》な話がある位です。しかし当時は別に滑稽でも何んでもなく、時勢の急転した時代でありますから、何事につけても、こういう風で、それは自然の勢いであって、当然のこととして不思議と思うものもありませんでした。また今日でこそこういう際に、どうかしたらなど思うでしょうが当時は、誰もそれをどうする気も起らない。廃滅すべきものは物の善悪高下によらず滅茶々々になって行ったものである。これは今日ではちょっと想像に及びがたい位のも
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