どうも面白からず思いましたので、これはこの辺にて、もはや見切りを附けるところか。今日《こんにち》まで独立を思い立っても、義理にからまれ、それも思うに任せなんだが、もはや年《ねん》が明けて六年の歳月をいささか師匠にも尽くしたと思うこともあるによって、今日、この場合、自分が身を引いたとあっても道にはずれたことでもあるまい。どうやら、自分の独立する時機が自然と来たのかも知れぬ。また、一方から考えると、自分というものが師匠没後の事に当っていればこそ、政吉も当面に立って充分に働きを見せぬが、自分が身を引けば、彼は立って働くに相違ない。自分が未亡人と政吉と頭の上に二人人間があって仕事のしにくいと同じように、政吉とても、自分があっては、やっぱり同様の感があるであろう。これは政吉を表面に立たせて働かすこそかえって目下《もっか》のためであろう。――こう私は考えました。
 この事は誰にも相談したのではなく、自分でかく決心して身を退《ひ》く覚悟をきめたのでありましたが、さりながら、足元から鳥の立つよう、今日からお暇を頂くというのも余りいい出しにくく、月に半月ずつの暇を貰いたいことを申し出ました。すると、未亡
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