人は、では、そうしてもらいましょうと、別に私を引き止めもしませんから、なるほど、これなれば身を引くにもかえって好都合と、それから十日のものが七日、五日と段々足が遠のくにつれて、こちらはますます入れ子の人間となり、政吉は、果して、まず立派に店のことをやって行くようになりましたから、今は、もう、すべてを政吉に譲るべきであると思い、清く私の身を引いたことでありました。
政吉は後年ずっと師匠没後の家におり、その二階で病死したのでありました。
さて私のその後のことについては、ここで初めて師匠の家を離れ、独立することになるのであるから、私の境遇はまた一段と形が変って来るわけであります。
私は、その頃は、堀田原の家を移って森下へ抜ける寿町へ一軒の家を借り其所《そこ》におりました。堀田原の家は師匠在生中、蔵前に移ったにつき、同所は火堅《ひがた》い所|故《ゆえ》、別段立ち退《の》き用心の家も不必要の所から堀田原の家は売られましたので、私は寿町へ転じました。
堀田原の家で私の総領娘|咲子《さくこ》が生まれました。それは明治十年九月五日であった。
寿町時代は翌十一年頃のこと。それから浅草小島町へ
前へ
次へ
全7ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光雲 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング