して、何んとか、もう一度癒してやりたいといっておられます。
この亀岡甚造という方は、その頃もはや年輩も六十以上の人で、当時は御用たし[#「たし」に傍点]のようなことをしておられた有福《ゆうふく》な人でありました。若い時、彼《か》のペルリの渡来時分、お台場《だいば》の工事を引き受け、産を造ったのだそうで、この亀岡氏は先代の目がねによって亀岡家へ養子になったなかなか立派な人でありました。師匠とは気心も大変合っていて、内輪のことなどまで心配をされました。また同氏は私にもなかなかよくしてくれました。で、亀岡氏はじめ、我々、皆一同師匠の病気平癒を神仏かけて祈りましたが、どうも重くなるばかりであります。医師に見せてもなかなか捗々《はかばか》しく参らず、そこで、私は先年傷寒を病んだ時に掛かった柳橋の古川という医師が、漢法医であるけれども名医であると信じていましたから、師匠の妻君へ、この人に診《み》てもらうよう話をしました。妻君も、それではと古川医師に診察を頼みますと、どうも、これは容易でない。脚気とはいっても、非常に質《たち》が悪い。気を附けねばならんという診断。医者の紋切形《もんきりがた》とは思
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