というので、……それは、つまり思惑《おもわく》が西洋の人と日本の人と違うのです。というのは、こうなんです。西洋人は唐子の約束なんか分らず、人間なら人間のようにもっとすらりと身長《せい》が高ければ好いので、あんなに、ぶよぶよ肥太《ふと》って、ちんちくりんでは第一物を捧《ささ》げている台として格好が附かないと、まあ、こういった訳なんですから、今度は当り前の人間だと思って、当り前にやって見て下さい。西洋彫刻の人物は、すべて痩《や》せて、すらりとしてるんですから、余り短く、でくでくしてると、不具者《かたわ》の人間見たようだって、あの人に気に入らなかったんです。気に入らない処はたったこれだけなんです。仕事の能《よ》く出来てることは、私はもちろん、あの人たちも充分認めているんです。で、あの雛形を作った人の腕前なら、それを、もっとすらりと痩せて拵えることは何んでもないことでしょう。その点さえ心得てやり直してもらえば今度は必ず気に入りますから、どうか、一つ、気を悪くなさらずにやって下さい」
相更《あいかわ》らずベンケイの応対は旨いもので、流暢《りゅうちょう》な日本語でやっている。一本気で、ぷんぷん怒
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