ってくれという。それは何に用うるかというと洋燈《ラムプ》台になるので、本国からの注文であるということ。高さは五尺位で一対。至急入用であるから、そのつもりにて幾金《いくら》で出来るかつもり[#「つもり」に傍点]をしてくれという。唐子は生地《きじ》だけを作ってくれれば、彩色は自分の方でするということであった。私もちょうど病気全快して師匠の家で仕事をしていた時であるから、これらの応対を聞いておった。

 楓湖氏とベンケイが帰ると、間もなく、師匠は私に向い、
「幸吉、今夜、夜食に行こうではないか」
といわれるので、私は師匠と一緒に夕方外へ出ました。観音様の中店の「燗銅壺《かんどうこ》」といった料理店で夜食をしながら、師匠は少し言葉を改め、
「幸吉、実は、今度、お前に骨を折ってもらわなくちゃならないことが出来たんだ。一つ確《しっ》かりやってもらいたい」
 今の洋燈台の注文が来たことを師匠は話されて、一切万事私に製作の方を仕切ってやってくれろという相談に預かりました。
 ところが、今も申す通り、丈《たけ》五尺の唐子で一対という注文、今日ではなんでもないが、その当時、徳川末期のドン底の、すべて作品が
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