い》の高弟に松本|楓湖《ふうこ》という絵師があった。この人は見上げるほどの大兵《だいひょう》で、紫の打紐《うちひも》で大たぶさ[#「たぶさ」に傍点]に結い、まち高《だか》の袴に立派な大小《だいしょう》を差して、朴歯《ほおば》の下駄《げた》を踏み鳴らし、見るからに武芸者といった立派な風采。もっとも剣術なども達者であるとか聞きましたが、当時、住居《すまい》は諏訪町《すわちょう》の湯屋の裏にあった。アーレンス商会では同商会の職工に仕事をさせるその下絵をこの楓湖氏に依頼していたので、今の番頭ベンケイがその衝に当っている所から知り合いの中であったから、折々、楓湖氏はベンケイを伴《つ》れて駒形町時代から師匠の店に彫刻類を見に来たことがあったが、今度楓湖氏を介して改めてベンケイが東雲師へ仕事を依頼すべく参ったわけであった。当時の楓湖氏は今日の帝室技芸員の松本楓湖先生のことで、私よりもさらに五、六年も老齢ではあるが、壮健で谷中清水町に住まっておられます。毎年の帝展へは必ず出品されております。
当日は両人で来て、仕事を頼むというので、どういう御注文かというと、唐子《からこ》が器物を差し上げている形を作
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