掛けておりました。
 師匠は私の名が表面に出て人の注目を惹《ひ》くようなことは好まれませんでした。世間の噂に私のことなどが出ても、私の耳へは入れませんでした。

 さて、とかくするうち、明治十年の末か、十一年の春であったか、日取りは確《しか》と覚えませんが、その前後のこと、京橋|築地《つきじ》にアーレンス商会というドイツ人経営の有名な商館があって、その番頭のベンケイという妙な名の男と逢《あ》うことになった。
 この人は年はまだ二十四であったが、なかなかの利《き》け者で、商売上の掛け引き万端、それはきびきびしたものであった。私は最初はこの人を三十以上の年輩と思っておったが、二十四と聞き、自分の年齢《とし》に比較して、まだ二つも年下でありながら、知らぬ国へ渡って、これだけ、立派に斬《き》り廻して行くというは、さてさて豪《えら》いもの、国の文明が違うためか、人間の賢不肖によるか、いずれにしても我々は慚愧《ざんき》に堪えぬ次第であると、私は心|秘《ひそ》かにこの人の利溌《りはつ》さに驚いていたのであった。
 このベンケイが師匠の家に来るようになった手続きというのは、当時|菊池容斎《きくちようさ
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