んでいることであるから、声の方の芸事は問題ではないが、声を出さない方の芸事ならば、師匠の申さるる通り、やって見ても差しつかえもなかろうということを考えました。そこで私は偶然思い附いたことがあったので、これは旨い考えだと思いました。
 その頃、師匠の家は駒形(今の鰌屋の真向う)にあって表通り、裏は駒形河岸、河岸の家の尻と表通りの家の尻とが相接していて其所《そこ》に長屋の総井戸が、ちょうど師匠の家の台所口にある。隣家は津田という小児科の医者、その隣りが舟大工《ふなだいく》、その隣りが空屋《あきや》であったが、近頃其所へ越して来た母娘《おやこ》の人があった。これは徳川の扶持を離れた武家出の人で、母娘ともに人柄であったが、その娘の方が踊りの師匠をこの家へ来てから始めている。私がふと思い附いたというのはこれで、此所《ここ》へ踊りの稽古に行って見ようかと思い立ったのでありました。
 しかし、私は、今日まで、そういうことなど考えて見たことのない生初心《きうぶ》な若者|故《ゆえ》、いざ行くとなると気が差してなかなか行き渋る。が、或る晩、晩飯を済まし、裏口から、酒の切手を手土産《てみやげ》にして思い切っ
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