精出しているのは好《い》いが、何か一つ遊芸といったようなものを稽古《けいこ》して見たらどうだい。俺は鳳雲師匠の傍《そば》にいて、やっぱり彫り物をするほかには何一つこれといって坐興になるようなことを覚えもしなかったが、人間は、何か一つ、義太夫とか、常磐津《ときわず》とか、乃至《ないし》は歌沢《うたざわ》のようなものでも、一つ位は覚えているのも悪くないものだぜ。今の中《うち》はこれでも好《よ》いが、年を老《と》ってから全くの無芸でも変テコなものだよ。私などもいろいろの宴会なぞの席で芸なしで困ることが度々《たびたび》ある」
などいい出され、それから師匠は、仕事ばかりに熱中するは結構なれども、そればかりでは彫刻でもやろうというものには、頭が固くなるともいえる。それで、何か気晴らしの緩和剤として、遊芸をやって見よ。お前の性質ならば間違いもあるまいから、など至極打ち解けたお言葉に、私も十八、九の青年のこととて心動き、何か一つ自分もやって見ようかな、という気持になった。
 しかし、私は声を出して歌を唄《うた》う方のことは、親から厳しく止められている。これは例の富本《とみもと》一件で、腹に滲《し》み込
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