《ひ》かぬといって大層見得なものであった。
消し口を取ると、消《け》し札《ふだ》というものをぶら下げた。これは箱根竹に麻糸で結わえた細い木の札で、これが掛かると、その組々の消し口が裏書きされたことになったのです。
その頃は、豪家になると、百両とか、二百両とか懸賞でその家を食い留めさせたものです。こういう時には一層|消防夫《ひけし》の働きが凄《すさ》まじかった。
一体に、当時は町人の火事を恐れたことは、今日の人の想像も及ばぬ位である。それは現今の如く、火災保険などいうような方法があるではなく、また消火機関が完全してもいないから、一度類焼したが最後、財産はほとんど丸潰《まるつぶ》れになりました。中には丸焼けになったため乞食《こじき》にまで身を落とした人さえある。今日では火事があって、かえって財産を殖《ふ》やしたなどという話とは反対です。したがって火事といえば直ぐに手伝いに駆け附けた。生命の次ほど大変なことに思っていたこと故、見舞いに走《は》せ附けた人たちをば非常にまた悦《よろこ》んだものである。
ですから、火事見舞いは、当時の義理のテッペンでした。一番に駆けつけたは誰、二番は誰と
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