《じゅうばこ》、鯰《なまず》のスッポン煮が名代で、その頃、赤い土鍋をコグ縄で結わえてぶら下げて行くと、
「重箱の帰りか、しゃれているぜ」などいったもの。
 花川戸から、ずっと、もう一つ河岸の横町が聖天町《しょうでんちょう》、それを抜けると待乳山《まつちやま》です。
「待乳沈んで、梢《こずえ》乗り込む今戸橋」などいったもの、河岸へ出ると向うに竹屋の渡し船があって、隅田川の流れを隔て墨堤《ぼくてい》の桜が見える。山谷堀を渡ると、今戸で焼き物の小屋が煙を揚げている。戸沢弁次という陶工が有名であった。
 山谷堀には有明楼《ありあけろう》、大吉《おおよし》、川口、花屋などという意気筋な茶屋が多く、この辺一帯江戸末期の特殊な空気が漂っていました。
 また元の道へ引き返して、雷門の前通りを花川戸へ曲がる角《かど》に「地蔵の燈籠《とうろう》」といって有名な燈籠があった。古代なものであったが、年号が刻《き》ってないので何時頃《いつごろ》のものとも明瞭《はっきり》とは分らぬ。小野の小町の石塔だというかと思えば、弘法大師の作であるとか、いずれも当てにはならぬ。中央に地蔵尊を彫り、傍《かたわら》に一人の僧が敬
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