》の葉をもって花見堂のような仮りのお堂をしつらえ、その御像を飾りました。遠近《おちこち》の人々は語り伝えて参詣《さんけい》をした。それで駒形堂をまた藜堂とも称《とな》えます。そうして主従三人は三社|権現《ごんげん》と祭られ浅草一円の氏神《うじがみ》となり、十人の草刈りは堂の左手の後に十子堂をしつらえて祭られました。
 駒形は江戸の名所の中でも有名であることは誰も知るところ……何代目かの遊女|高尾《たかお》の句で例の「君は今駒形あたりほとゝぎす」というのがありますが、なるほど、駒形は時鳥《ほととぎす》に縁《ゆかり》のあるところであるなと思ったことがあります。というのは、その頃おい、駒形はまことによく時鳥の鳴いた所です。時鳥の通り道であったかのように思われました。それは、ちょうどこの駒形堂から大河を距てて本所《ほんじょ》側に多田の薬師《やくし》というのがありましたが、この叢林《やぶ》がこんもり深く、昼も暗いほど、時鳥など沢山巣をかけていたもので、五月《さつき》の空の雨上がりの夜などには、その藪《やぶ》から時鳥が駒形の方へ飛んで来て上野の森の方へ雲をば横過《よこぎ》って啼《な》いて行ったもの
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