像となったものとか、今でも祠《ほこら》の格子《こうし》に多くの文が附けられてある。
 雷門から仁王門までの、今日の仲店《なかみせ》の通りは、その頃は極《ごく》粗末な床店《とこみせ》でした。屋根が揚げ卸しの出来るようになっており、縁と、脚がくるり[#「くるり」に傍点]になって揚げ縁になっていたもので、平日は、六ツ(午後六時)を打つと、観音堂を閉扉《へいひ》するから商人は店を畳んで帰ってしまう。後《あと》はひっそりと淋しい位のものでした。両側は玩具屋《おもちゃや》が七分通り(浅草人形といって、土でひねって彩色したもの、これは名物であった)、絵草紙、小間物《こまもの》、はじけ豆、紅梅焼、雷おこし(これは雷門下にあった)など、仁王門下には五家宝《ごかぼう》という菓子、雷門前の大道には「飛んだりはねたり」のおもちゃを売っていた。蛇《じゃ》の目《め》の傘《がさ》がはねて、助六《すけろく》が出るなど、江戸気分なもの、その頃のおもちゃにはなかなか暢気《のんき》なところがありました。
 雷門は有名ほど立派なものではなく、平屋の切妻《きりづま》作りで、片方が六本、片方が六本の柱があり、中心の柱が屋根を支《
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