ささ》え、前には金剛矢来《こんごうやらい》があり、台坐の岩に雲があって、向って右に雷神、左に風の神が立っていました。魚がしとかしんばとか書いた紅《あか》い大きな提灯《ちょうちん》が下がって何んとなく一種の情趣があった。
仁王門は楼門です。楼上には釈迦に十六羅漢があるはず。楼下の左右には金剛力士の像が立っている。
仲店の中間、左側が伝法院で、これは浅草寺の本坊である。庭がなかなか立派で、この構えを出ると、直ぐ裏は、もう田圃で、左側は田原町の後ろになっており、蛇骨湯《じゃこつゆ》という湯屋があった。井戸を掘った時大蛇の頭が出たとやらでこの名を附けたとか。有名な湯屋です。後ろの方はその頃|新畑町《しんはたまち》といった所、それからまた田圃であった。
伝法院の庭を抜け、田圃の間の畔道《あぜみち》を真直に行くと(右側の田圃が今の六区一帯に当る)、伝法院の西門に出る。その出口に江戸|侠客《きょうかく》の随一といわれた新門辰五郎《しんもんたつごろう》がいました。右に折れた道が弘隆寺、清正公《せいしょうこう》のある寺の通りです。それから一帯吉原田圃で、この方に太郎稲荷(この社は筑後《ちくご》柳川
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