さて、それから仏師となるには、仏師一通りのことは出来ねばなりません。まずその一通りというところを話して行くと、第一に如来《にょらい》です。
 如来は、如実の道に乗じて、来《きた》って正覚《しょうがく》を成す、とある通り仏の最上美称であって、阿弥陀《あみだ》、釈迦《しゃか》、薬師《やくし》、大日《だいにち》などをいうのであります。如来が一番むずかしいものとなっている。仏工は古来より阿弥陀如来の立像と、地蔵菩薩《じぞうぼさつ》の立像をむつかしい物の東西の大関に例《たと》えてある。
 次に菩薩、これは大心ありて仏道に入る義にて、すなわち仏の次に位する称号。地蔵、観音、勢至《せいし》、文殊《もんじゅ》、普賢《ふげん》、虚空蔵《こくぞう》などある。それから天部《てんぶ》という。これは梵天《ぼんてん》、帝釈《たいしゃく》、弁天、吉祥天《きっしょうてん》等。次は怒り物といって忿怒の形相をした五大尊、四天、十二|神将《じんしょう》の如き仏体をいう。諸仏の守護神です。それから僧分の肖像、たとえば弘法大師、日蓮上人《にちれんしょうにん》のような僧体である。一々話して行けば実に数限りもないことです。余
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