は火焔《かえん》という順序で段々と攻めて行くのである。この不動様の三尊を彫り上げるということは彫刻の稽古としては誠に当を得たものであって、この稽古中に腕もめきめき上がって行くのです。それはそのはずであって、この三体の中《うち》には仏の種々相が含まれているからです。矜羯羅が柔和で立像、制※[#「咤−宀」、第3水準1−14−85]迦が岩へ「踏み下げ」て忿怒《ふんぬ》の相、不動の本体は安座《あんざ》であって、片手が剣、片手が縛縄《ばくなわ》、天地眼《てんちがん》で、岩がある。岩の中央に滝、すなわち水の形を示している。後は火焔で火の形である。ですから、これで立像も分る。「踏み下げ」も分る。安坐も会得《えとく》する。柔和忿怒の相から水火の形という風に諸々の形象が含まれているのであるから、調法というはおかしいが、材料としてはまことに適当であります。しかし、この不動三尊を纏《まと》め上げるには容易なことではなく、三、四年の歳月は経《た》っていて、私の年齢も、もう十六、七になっている。話しではいかにも速いが脳《あたま》や腕はそう速く進むものでない。修行盛りのこと故、一心不乱となって勉強をしたものです。
前へ
次へ
全9ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光雲 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング