往来広く空ッ風の強い日などは塵埃《ほこり》が甚《ひど》くて、とても仕事が出来ないという有様なので、転居したのです。
まだ、その頃は硝子《ガラス》戸を入れる時代になっておりませんから、何処《どこ》でも塵埃のためには困らされました(その頃、タシカ、神田のお玉ヶ池の佐羽という唐物屋《とうぶつや》がたった一軒硝子戸を入れていたもので、なかなか評判でありました。硝子器の壜《びん》は「ふらそこ」といって、桐《きり》の二重箱へなど入れて大切にした時代です)。私が東雲師の家《うち》に行ったのは、この諏訪町移転後三、四年のことだと思います。
店には私より以前に二人の弟子がいた。三枝松政吉《みえまつまさきち》と、覚太郎というものであった。二人とも、もはや相当に腕も出来てきた所から、もう一人小僧が欲しいというような訳で、例の床屋の安さんへ弟子を頼んだのが計らず私が行くことになったような順序になるのです。
私の行ったのは、文久三年|亥年《いどし》の三月十日の朝――安さんに伴《つ》れられて師匠に引き合わされました。安さんが「……これが、そのお話しの兼松の次男なんで……」と口上をいっている。「ふむ、これア
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