松があった。これが首尾《しゅび》の松《まつ》といって有名なもの、此所は今の高等工業学校校内になっている)。左側は、伊勢広、伊勢嘉、和泉喜などいう札差《ふださし》が十八軒もずっと並んでいて豪奢《ごうしゃ》な生活をしたものである。で、札差からの注文を受けるのは、必ず上等のもので、何職に限らず名誉の事のように思った。東雲師は律義な人、人品もよろしい、気持も純である処から、彫ってある置き物でも見る人があると、「お気に召しましたらお待ち下さい。差し上げましょう」といった風な寡慾で、サッパリしていますので、この札差の旦那《だんな》衆から同情されて、仕事は次から次からと店は繁昌《はんじょう》する。まず幸福に順調にやって行きました。
かくて、間もなく、東雲師は妻を娶《めと》った(生まれは本所《ほんじょ》二ツ目の商人の娘)。下谷|七軒町《しちけんちょう》酒井大学《さかいだいがく》という大名の屋敷に奉行をしていた婦人で、女芸一通り能《よ》く出来(最も長唄《ながうた》がお得意であった)、東雲師の妻として、好い取り合わせでありました。それからまた間もなく、東雲師の店は浅草諏訪町へ転じました。これは森田町は
前へ
次へ
全7ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
高村 光雲 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング