金次郎という。この人は野村|源光《げんこう》の弟子です(源光のことも、いずれ別に話します)。金次郎はなかなか腕の出来た人であったが、仏を彫刻することは不得手《ふえて》であって、仏に附属するところの、台座とか、後光とかいうようなものの製作が美事《みごと》であった。で、東雲師が仏の能《よ》く出来るのへ、ちょうど好い調和となって店の仕事にはかえって都合がよかった。姉さんが一人、お悦といって後家《ごけ》を通した人(後に私の養母である)、この人が台所をやるという風で、姉弟《きょうだい》三人水入らずで平和に睦《むつ》まじくやっていたのであります。
 ところで、この蔵前という土地は、江戸でも名代《なだい》な場所――此所《ここ》には徳川家の米蔵《こめぐら》が並んでいる。天王橋寄りが一ノ口、森田町の方が中《なか》ノ口、八幡町《はちまんちょう》に寄って三ノ口と三ツ門があって、米の出し入れをして、相場も此所できまる。浅草寺《せんそうじ》に向って右側で、御蔵《おくら》の裏が直《す》ぐ大川になっており、蔵屋敷の中まで掘割になって船がお蔵の前に着くようになっていた(この中ノ口|河岸《がし》に水面に枝を張った立派な
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