立っている、また油紙の下へ引ッ込んでしまう、倉橋君は昨夜睡られなかったので、よくよく眠かったと見え、この騒ぎの中にもグッスリ寝込んでいる、白花の石楠花が、この生体のない人の頬に匂っている。
耳を澄まして、谷間に吹き荒《すさ》ぶ風の声を聞くと、その怖ろしさといったらない、初めは雷とばかり思っていた、あまり雷にしては間断なく鳴るから、不審に思って聞くと、「大井川の七日荒れ」だという、その「荒れ」が、今の風雨で初まったのだという、谷の角から谷の角へと屈折し、反響して、空気の大顫動《だいせんどう》が初まったのである、この山はいつ頃出来たのであろう、そうして何百万年もこうして寂として、いたのであろう、それが十年に一度、五年に一度、人間が入って来ると、谷間の底に潜んでいる風が、鎖を繋がれながらも、それからそれへと哮《たけ》り狂って、のた打ち廻り、重い足枷《あしかせ》を引き擦り引き擦り、大叫喚をしているのであろう、油紙の天幕の下は、朽木の体内のように脆くて、このまま人間は、生きながら屍《しかばね》となるのではあるまいかと、思われた。
この暴風雨がいつまでつづくか解らぬ、それよりも、差し当りこんな
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