ところに、今夜野宿が出来るか、否かが疑問である、思い切って谷へ下りようか、谷へ下りれば、この旅行の中止を意味することになる、一行は思い悩んで決し兼ねた……何だか筋骨を抜かれたように、気落がして、私も眼が重くなった。
 高頭君であったか、誰であったか、不意に消魂《けたた》ましく、日本晴れだぞ、痛快痛快と、触れ廻るように叫んだ声におどろかされて、刎《は》ね起きると、雨はいつの間にやら霽《は》れ上り、西の方の空が一点の痣《あざ》をも残さず、拭いて取ったように、透明に奥深く冴えわたっている、鼻ッ先には農鳥《のうとり》山と間《あい》の岳《たけ》(白峰山脈)が、近く立っている、こんな大きな山々が、今まではどこに秘んでいたのだろう、天から降ったのかと思うように、出たのである、間の岳は頭がちょっと出ている。農鳥山の赭《あか》ッちゃけた壁には、白雪がペンキでも塗ったように、べッたりと光って輝いている。
 西の方には木曾御嶽が、緩斜の裾を引いて、腰以下を雲の波で洗わせている、乗鞍岳は、純藍色に冴えかえり、その白銀の筋は、たった今落ちたばかりの、新雪ででもあるかのように、釉薬《つやぐすり》をかけた色をして、
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