立ち、東に富士山が、二筋ばかりの白い雪を放射して、それが泥黒い雲を通過する光線に翳されて、何だか赤く銹《さ》びた鉄のように見える、富士山の附近は、御阪山脈や、天守山脈だけを、小島のように残して、氷に鉋《かんな》をかけたような雲が、ボロボロ転がっている、山という山の背景は、灰色で一面に塗り潰されている。
 北方白峰の本嶺は、一切霧で秘められている、その一切を秘められた北へ北へと、私たちは見えない手に、グイグイ引っ張られて、否でも応でも行かなければならないのだ。
 北西の一峰を踰《こ》えたことを記憶している、そこに何があったかと言えば、白花の石楠花《しゃくなげ》があったことだけが答えられる。
 乱石で埋まった一峰を越したことも、憶い出される、雪が氷っていたことだけが、眼に泛《うか》ぶ。
 それほど霧で眼界を窄《せば》められていた、それだけまた神経が鋭く尖っていた、自分たちから一間ばかり、先へ離れて、雷鳥がちょこちょこ歩いて行く、こっちで停まれば向うでも停まる、歩けば先へ立って行く、冥府から出迎いにでも来た悪鳥のように、この鳥の姿が消えるとき、自分たちの運命も終焉《しゅうえん》を告げるように
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