からではあるまいか、そうして執念深く、今もなおあの山に、つき纏《まと》って、谷の住み家を去らずにいるのではあるまいか……前々夜泊まった広河内の谷が、乾からびたように見える、その附近の黒い森林は、一寸位ずつ這い上って来るようで、雲の揺籃《クレードル》のように、水球をすさまじい勢いで吐き出す。
 西に向いて、また一峰を超え、やや下ってまた北に向って上る、霧の中で目標にする山もないから、手に磁石を放さない、何でも北へ向けばいいのだ、北へ、北へと歩む。
 ふと東北に地蔵鳳凰二山が見えた、鳳凰山の赭《あか》っちゃけた膚に、蒼黯な偃松が、平ッたくなって、くッついている、うしろには駒ヶ岳が、蒼醒《あおざ》めた顔をして覗《のぞ》いている、前には白峰本岳から連続するらしい二枚の連壁が、低いながらも遮っている、今通過した大籠山は、駱駝《らくだ》形をして、三角測量標が、霧の波に冠されながらも、その底から頂へと突き抜いて、難破船の檣《ほばしら》のように出ている、見る見るうちに霧に喰《は》み取られて、半分位持って行かれてしまったかと思ったが、また繋ぎ合わされて立っている、西に間《あい》の岳《たけ》(赤石山脈)が
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