点とした、湯島温泉へ下られるということであったから、もし天候が嶮悪で、白峰山脈縦断が、覚束《おぼつか》なかったら、その路を取って、引き返すはずにして、きょうは天候も悪いし、これから農鳥山に登る間に、適当の露宿地がないというので、まだ早いが一泊することにした。猟師は楓の細木を伐《き》り朴《たお》し、枝葉を払わないままで、柱を立て、私たちの用意して来た、二畳敷ほどな油紙二枚を、人字形に懸けて、家根を作る。それから、樅や、栂の小枝を、鉈《なた》で、さくりさくり伐り落して、鮮やかな、光沢のある、脂の香気が、鋭敏に鼻感を刺戟する、青葉の床を延べる。ふっくりと柔く、尻の落ちつきがいい。同行八人の寝室も、食堂も、ここで兼ねるのである。早速、焚火にかかって、徒渉に濡れた脚絆《きゃはん》を乾すやら、大鍋を吊《つる》して湯を沸かしたりする。
 広河内の土地のありさまは、中央日本アルプスの聖境、上高地の中、島々《しましま》方面から徳本《とくごう》峠を下り切った地点に、よく似ている。大沢が、濶く、峡間に延びて、峡流の分岐したのが、幾筋となく蜿《う》ねり、枯木が、踏み砕かれた、肋骨のようになって、何本も仆れてい
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