に匹敵する山岳に対して、もう少し、微細に深刻に入って見たい。
思うに、人事において流行《はやり》や廃《すた》りのある如く、自然においても旧式のものと新式のものが自らある、空中飛行機に駭《おどろ》く心は、やがて彗星を異《あや》しむ心と同一であると云えよう。自然に対しても、近代人は近江八景や、二見ヶ浦の日の出のような、伝習に囚《とら》われた名所や風光で満足が出来ないのである。ちょうど十九世紀に著しく勃興した探検事業は、科学的研究心と合体して、未知数に向い、無人境に向った結果、山岳研究ということが、欧洲より米国に、また日本に伝わって来て、諸々の文明国は、山岳会を有するに至った。何故ならば、山岳は百般の自然現象を、ほぼ面積の大なる垂直体に収容した博物館であり、美術殿堂であるからである。就中山岳の雪は、研究の対象として最も興味のある題目である。
二
山岳は雪を被むるによって、その美しさを一層増す。朝は日を受けて柔和な桃色を潮《さ》し、昼は冴えた空に反映して、燧石《すいせき》のようにキラキラ晃《きら》めき、そのあまりに純白なるために、傍で見ると空線に近い大気を黒くさせて、眼を痛
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