リ Targo−gangri 山を発見せられたが、この「ガングリ」なる名は、しばしば西蔵《チベット》語に出て来る「氷の山」の義で、常に崇高な氷雪を戴いているため、チベット人は、神聖視しているとのことだ。
また北米で有名な、シエラ・ネヴァダ山 Sierra Nevada のシエラは鋸歯ということだが、ネヴァダは万年雪(〔Ne've'〕)と語原を同じゅうした「雪の峰」ということである、米人ジョン・ミューア John Muir は、かつてヨセミテ谿谷 Yosemite Valley の記を草して、このシエラ山は全く光より成れる観があると言って、シエラをば「雪の峰と呼んではいけない、光の峰と名づけた方がいい」と言ったが、雪のある峰であればこそ、光るので、我が富士山が光る山であるのは、雪の山であるためではあるまいか。
顧みて「高根の雪」なる美しい語が、我が日本の古くからの歌に散見するのも、我が山岳国には欠かれない存在であると云わねばならない。しかしながら、単に「雪で白い山」だけなら、理解力の幼稚な小児でも言える。私どもの知識欲は、この荘厳にして視神経を刺戟する程度の強さが、容積の大から来るそれ
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