落ちたように)。第三にレイニーア山や、その属する所のキャスケード山脈を主として、探検する山岳会には、「マザマ」(ポートランド市)があり、「マウンティニーア」(シアトル市)があり、また南の方シエラ・ネヴァダを研究する山岳会としては、盛大なるシエラ山岳会(桑港)があるにもかかわらず、シャスタはその中間に占居するため、どっちつかずの継子《ままこ》扱いを、両方の山岳会から受けていること(あたかも日本アルプスや、秩父山脈が、登山家の興味の中心になって、離群別居の富士山が、大分閑却される傾向があるように)。第四は、山の不幸は、住人の不幸になって、シャスタ山と、切っても切れぬ歴史中の人を、埋没しようとしている。即ちシャスタ山を、世に紹介するために、全力を尽くした土地草分けのシッソン翁(J. H. Sisson)という開拓者のために、シッソンという地名が出来、同名の停車場まであったのが、いつの間にか、土地がシャスタ・シチイと改名せられて、あたらシッソン翁の名は、草莽《そうもう》の間《かん》に埋められようとしている(あたかも富士山の役行者《えんのぎょうじゃ》の名が、今日忘られかけて、日本アルプスの先達、
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