一筋も残らない」などと、誇張した報道であったが、事実は、その前年の冬に雪が少なかったので、氷河は既に五月の始めに、新雪から解放せられ、底部から溶解して、空洞になり、激しい滝水で、氷河のトンネルが出来たのが、支持の力を失って、崩落《ほうらく》を始め、岩石や砂礫《されき》を押し流して、山麓の村々へと、冠《かぶ》せて来たのであったが、その当時、村では、二、三分ごとに、太砲の音のような響きが聞え、氷河を源とするマック・クラウド河は勿論《もちろん》、サクラメント河まで水色が一変して、当分は濁りがつづいたということであった。私は、その夕、電燈|煌々《こうこう》として自動車の目まぐるしく飛び交《か》う賑《にぎ》やかな町中で、一枚の号外を握って、地質時代の出来事であるところの、氷河退却時代が、眼《ま》のあたりに見られるのだと思った。飛び廻る自動車も、忙しそうに歩く行人も、右往左往に悲叫《ひきょう》遁走《とんそう》する、あらゆる生物の、混乱の姿ででもあるかのように取られた。
それから私は思う、外国の山を見るには、二つの見方が、経験されはしまいか、即《すなわ》ち自分の国の自然に似ている方面と、似ていない方面との二つである。蕪村であったか誰だったか、「花茨《はないばら》故郷の路に似たるかな」は、似た方からの見方だ。その反対に、似ても似つかぬところに、新しい驚異の心を抱かれることもある。シャスタに就いて言うと、氷河地形などは、我が富士山とは似ない方面だが、その他に於て、多くの似顔は、合せ鏡をしている姉妹でもあるかの如くに感じられる、そう思うとき、我々日本人に取って、シャスタ山は、もう錠前を卸《おろ》した山ではなくなった。
私の観察したシャスタを、漢文者流の口調を借りて、人間本位で言うならば、とかくに不遇の山水である。第一にシャスタ山は、太平洋沿岸に近い山としては、早く発見された方ではない。同じ太平洋岸でも、有名な航海者「ヴァンクウバア」が、フッド火山や、ベエカア火山や、レイニーア火山を発見してから、三十四年も後に、シャスタは、やっと存在を認められた。西班牙《スペイン》の探検者たちが、加州にシエラ・ネヴァダ山脈を見つけたよりも、三世紀も遅れている。メキシコの大火山、ポポカテペトルの第一登山が報告されてから、三百年も後になって、シャスタは地図の上に戸籍が入った。しかし始めて登られたのは、一
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