、臀《しり》や脛《すね》をむき出しに、寝そべっているところを描いたのがあったが、延《の》んびりとした大陸性の、高原に引く一筋路を、澄み切った大空の下に、おそらく、ガタピシと石ころに蹴《け》つまずきながら、走って行く一台の馬車は、漂泊の姿そのもののように、一抹《いちまつ》の旅愁を引くのに充分であった。
 それは、カウボーイの土地である。未だ草分け時代の空気が、澱《よど》んでいる。石と打《ぶ》つかっても、林に這入《はい》っても、人と自然が肉迫するときのいきりが立っている。そのすべてを超越して、美しいものは、この山の隆々たる肉塊である。新火山のことだから、土の締まりは、しッくりしていない、むしろ危ッかしいほど、柔脆《じゅうぜい》の肉つきではあるが、楽焼《らくやき》の陶器のような、粗朴な釉薬《うわぐすり》を、うッすり刷《は》いた赤《あか》る味《み》と、火力の衰えた痕《あと》のほてりを残して、内へ内へと熱を含むほど、外へ外へと迫って来る力が、十方《じっぽう》無障碍《むしょうげ》に放射することを感ずる。絶頂の火口は、今こそ休火山ではあるが、烈々と美を噴く熔炉になっている。その美の泉を結晶したものは、絶頂から胸壁へと、こびりついているところの、氷河である。汽車の窓からも、その中の最大(といっても長さは二|哩《マイル》半位しかないが)のホイットニイ氷河が、銀流しに光っているのが見える。そうして鉄路の附近に、氷河湖の跡が乾《ひ》からびて、今は青草の生えた牧場になって、牛が遊んでいる。その辺の農家の石垣は、氷河の推《お》し流した堆石《たいせき》を使ったりしているのが、私たち富士山で、万年雪を物色したり、日本アルプスで、「カアル」の痕《あと》を、氷河時代の遺蹟か否《いな》かと、論じ合ったりしている手合いに、いかに珍しかったろうか。
 その氷河で思い出したが、私が桑港《サンフランシスコ》にいるとき、一九二四年九月十八日の夕、新聞の号外売りが、声高く「ラッセン火山大爆裂、シャスタ氷河大融解」と、大の字|尽《づ》くしで呼んでいるので、耳寄りに思って買って見ると、いかにもシャスタ山の、氷河融解、大洪水来と、拳《こぶし》大《だい》の活字で見出しがついている。それは同日附け、ダンスミールからの電報で、「シャスタの南東頂上が欠損《けっそん》してマック・クラウド谷が吹き飛ばされ、谷の痕跡《こんせき》が、
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