八五二年のことで、この辺の山としては、遅い方でもなかったが、あとから探検された他州(ワシントン州)の、レイニーア山の方に国立公園を取られてしまい、レイニーア山に関しては、詳細なる地形図、地質図や、一般民衆向きの、要領を得た説明案内などが出版せられて、世の中に紹介されているが、シャスタには、未だそういうものは、何にも出ていない(あたかも富士山が「天地の別れし時ゆ神さびて」とか、古くから言われていながら、今日では、ややともすると、最近発見の日本アルプス上高地あたりに、国立公園を、お先に奪われそうな形勢であるが如くに)。第二にシャスタ山は、初めは海抜一万四千五百尺と測られて、米国最高の山と信ぜられていたのに、その方は、今では、シエラ・ネヴァダのマウント・ホイットニイに、最高の位置を取られてしまい、精密なる実測の結果は、一万四千一百尺に減じて、レイニーアの一万四千四百尺に比してすら、下位に落ちてしまった(あたかも日本最高の富士山が、久しく信ぜられていた三七七八|米突《メートル》という高さが、最近実測の結果、たとい二米突ばかりにしてもかえって減少して、いよいよ台湾の新高山《にいたかやま》の下位に落ちたように)。第三にレイニーア山や、その属する所のキャスケード山脈を主として、探検する山岳会には、「マザマ」(ポートランド市)があり、「マウンティニーア」(シアトル市)があり、また南の方シエラ・ネヴァダを研究する山岳会としては、盛大なるシエラ山岳会(桑港)があるにもかかわらず、シャスタはその中間に占居するため、どっちつかずの継子《ままこ》扱いを、両方の山岳会から受けていること(あたかも日本アルプスや、秩父山脈が、登山家の興味の中心になって、離群別居の富士山が、大分閑却される傾向があるように)。第四は、山の不幸は、住人の不幸になって、シャスタ山と、切っても切れぬ歴史中の人を、埋没しようとしている。即ちシャスタ山を、世に紹介するために、全力を尽くした土地草分けのシッソン翁(J. H. Sisson)という開拓者のために、シッソンという地名が出来、同名の停車場まであったのが、いつの間にか、土地がシャスタ・シチイと改名せられて、あたらシッソン翁の名は、草莽《そうもう》の間《かん》に埋められようとしている(あたかも富士山の役行者《えんのぎょうじゃ》の名が、今日忘られかけて、日本アルプスの先達、
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