れている私、一切のものによって生かされている自分を、ほんとうに心から知った時、私どもは、そこにしみじみと、今さらながら、恩すなわちおかげさまということを感ずるのであります。ありがたい、もったいない、すまない、という感謝報恩の心は、湧然《ゆうぜん》として、ほとばしり出るのです。したがって、自己《おのれ》の生活に対して、何の懺悔《さんげ》も、反省もなしに、ただいたずらに世を呪《のろ》い、人を怨《うら》むことは、全く沙汰《さた》の限りといわざるを得ないのです。自分の身体にくっついた虱《しらみ》を怨む前に、まず私どもは虱をつけている自己の身体の不潔[#「不潔」に傍点]を反省せねばなりません。しかも一たび「因縁の原理」に目覚め真に「般若《はんにゃ》の空《くう》」に徹したものは、生のはかなさを知ると同時にまた[#「生のはかなさを知ると同時にまた」に傍点]、生の尊さを知るのです[#「生の尊さを知るのです」に傍点]。実をいえば、生ははかないがゆえに尊いのです[#「生ははかないがゆえに尊いのです」に傍点]。「散ればこそいとど桜はめでたけれ[#「散ればこそいとど桜はめでたけれ」は太字]」です。散るところに
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